いのちの大切さ
聖路加国際病院 理事長  日野原 重明


2006年は,いじめや子どもや大人の自殺,他殺が続き,この年の後半からは新聞やテレビには悲惨なニュースが重ね重ね報道され,一方,また米国の対イラクへの対応で,平和の夢が完全に崩れた中に年を閉じました。
何とか,この2007年という新しい年こそは平和への扉が開く年としたいと考えています。

さて,いのちを大切にすることは人間の歴史が始まってからの大切な命題でしたが,物質文明が高速度で展開され,文明生活の中で人間の心がないがしろにされるようになったのです。
人間の生命は有限で,いくら医学が進歩しても,死は必ず来ます。死をどうよく迎えるか,最後に自分が生まれてきたこと,皆さんと一緒に生活できたことは感謝ですと,一言でも「ありがとう」の言葉で別れの手を差し出すことができれば,それは死んで行くその人だけでなく,遺される人がそれから力を得ることができ,別れの悲嘆から早く解放されることができるのです。
シェ―クスピアのいう「終わりよければすべてよし」となるのです。

ところで,いのちの大切さについては,昨年は方々で語られ,いのちの重要性が説かれました。しかし,いのちとは何かの説明がなく,目に見えないいのちの取り扱い方が誰にも分からなくなってしまっているのです。
私は物心のついた小学校の四年生,10歳の子どもに「いのちとは何か」をこう説明しています。
いのちは見えないもの。それは風のように,その影としての梢のゆらぎや,雲の流れていることの本体は頭では分かるが,その本体を心で感じることは難しいものです。

しかし,いのちは君たちがいつも持っている,今も持っていて,そしてそれを自分のために使っているのではないかと。
心臓はいのちを保つために,脳に酸素と栄養を血液によって送って人間が考えることができるようにさせ,同じく手足に血液を送って動かせるようにしています。いのちを支えるのに心臓はポンプの働きをしています。しかし,心臓がいのちではありません。

いのちは自分でどうにでも使える自分が持っている時間なのです。そう10歳の子どもへ語り,今日は朝から何をしてきたかを尋ねます。彼らの言うことを聞くと,それは全て自分のために使った時間で,自分のために勉強し,自分のために遊び,自分のために食べ,眠っているのではないかと話すのです。
自分の持っている時間が,君たちのいのち,それをどう自分以外のために使うかを考えて作文を書いて私に送って下さいと言います。
10歳の子どもたちには時間としてのいのちが実感され,そうかと同意してくれ,そのいのち,草木のいのち,動物のいのち,人のいのちを大切にして生きていくように私は勧めるのです。

私はいのちの大切さを多くの人々に知ってもらうとともに,自分に与えられたいのちという時間を,どのように自分でプランをして実行するかということの重要性を,日本だけでなく外国でも説いてきました。
私は老人にも若い人にも,いのちの重要さとその使い方を話してきましたが,老人は,その長い人生の中で,いくつもの失敗をしてきているので,その反省を,若い人に伝えて,同じ過ちを若い人にさせないようにする使命があると思うのです。

人のいのちを大切にするとは全く反対に,日本は第二次世界大戦には,ドイツ,イタリアと組んで,英米,オーストラリアなどに対して戦争を始めたのです。
日本は昭和12年に盧溝橋事件をきっかけに中国で戦線を拡大したり,また,昭和16年にはハワイの真珠湾に停泊中のアメリカの軍艦を抜き打ち的に爆破したりして太平洋戦争を始めたのです。
日本軍は,戦線を東南アジアやオーストラリア近くにまで拡大し,遂には米軍により,日本国内各地に大空襲を受け,最後には,広島や長崎への原子爆弾の投下を受けて,日本は完全に敗退して終戦となったのです。この戦争を体験した老人,つまり75歳以上の高齢者は,戦争についての正しい知識の全くない子どもや孫に戦争の悪について正しく伝える義務があるのだと思います。

第二次世界大戦を最後に,21世紀は平和の世紀となることが世界中の人々により望まれていたのに,21世紀になっても世界各国で戦争やテロが引き続き行われ,数え切れぬほどの人々が死んでいます。
日本やその他の国が冒した罪をもっと悔い改め,人間のいのちの大切さをよく理解した上で,このような戦争やテロが行われない世界を作ることが,これからの子どもや孫の時代に期待されるのです。

そのようなわけで,戦争を経験した日本の老人は,もっともっと子どもや孫に接近して,戦争を避け,平和をもたらす精神を伝えるべきです。
いのちの大切さとその使い方を次の世代の人々に伝えるために,私は,5年前に「新老人の会」を計画し,今日本中だけでなく,米国,オーストラリア,さらにはメキシコ,韓国などにこの運動を広めようとしています。
いのちを愛する精神は,人間の生命だけでなく,地球上の自然を愛する,つまり草木を愛する,そして動物を愛する心が,人を愛する心と共に,めいめいの心に養われなくてはなりません。
このいのちを愛する運動が広がれば,いじめもなくなり,戦争もなくなることが期待されるのです。
私は愛の運動をますます世界に拡げるために95歳を過ぎてからも許されるいのちを精一杯に使って前進したいと思います。