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ラッキー☆プール

作者:賀来谷 あゆ

朝、目が覚めてカーテンを開けると。昨夜降っていた雨は止み、

ベランダの植木鉢についたしずくがキラキラと光を反射していた。

すがすがしい朝が少しはれた目に心地良くしみて、涙が出そうになる。

薄青い空は悲しいくらい綺麗だ。

もし今日の空がどんよりと曇っていたなら、こんなすがすがしい空気を吸い込んでいなかったなら、

気持ちのままに一日沈んでいられたのにと紗恵は思い、はっとする。

そして、悲劇のヒロイン気取りたいらしい自分に気付いて軽く苦笑した。

自分に酔いしれる類の人間を紗恵はいつも滑稽しく思っていたはずなのに、

自分も存外パターンにはまってしまう人種だったのかと思うとうんざりする。

鏡を覗き込むと、瞼がちょっとだけはれていた。昨夜缶ビールに口をつけながら、

溢れる涙を拭おうともせずにいた自分を思い出して気恥ずかしくなった。

そして同時に愛しく思えた。

無音の中にいる自分がどうしても嫌になって、ラジオのFMチャンネルを合わせる。

耳に飛び込んできたポップな曲調。JUDY AND MARYだった。

彼の好きな曲だった。

サビの部分を口ずさみながら、昨日から放置されていた缶ビールに口をつける。

「不味っ」

生ぬるくなった上、炭酸が抜けていてひどい味がした。

「ホントに不味い・・・」

涙が一粒頬を伝った。

紗恵は昨日、片思いをしていた男に振られたのだ。

夜の住宅街。飲み会の帰りだった。二人とも強かに酔っていた。

「私、高藤さんの事、好き」

小さな声で言ったのに、夜の澄んだ空気は以外な程よく通った。

しばらく沈黙が続いた。ほんの10秒だったようにも、10分くらいだったようにも思える。

とにかく彼は黙っていた。彼女も大きな瞳をこらし、彼を見上げて言葉を待った。

「俺、前川のことそう言う風に見た事ない」

「年の・・・せいですか」

紗恵と高藤は8つ年が離れていた。

「それもあるけど・・・・・今、好きな子いるから」

「・・・分かりました」

目頭が熱くなった。けれど、意地でも泣きたくなかった。

「でも俺・・・前川のことマジでイイ奴だと思ってるから、このまま気まずくなったりしたくない」

彼の優しさが心にしみた。

憮然と言い放つ不器用さを愛しく思った。八つも上の人を可愛いと思った。

「私も高藤さんと気まずくなったりしたくないです。明日からもいつもどうりにして下さい。
私も普通にしますから」

「有り難う」

「それ、私のセリフです」

めいいっぱい明るく言った。

精一杯の笑顔で言った。

ずっと顔を上げていた。

そうしないと、涙がこぼれてしまうから。

そんな無様な真似だけはしたくなかった。それが紗恵の精一杯のプライドだった。

「じゃあ私、こっちなんで」

そう言って別れようとした時、何かが紗恵の中で動いた。

「あのっ」

気付いた時には、高藤の腕をつかんでいた。

「これから先、1%も私の事好きになる可能性ありませんか」

そんなこと言うつもりは毛頭無かった。

けれどとても切実だった。

「それは・・・分からん」

ここで拒否しない事は優しさじゃないんだよ。

そう思ったが、自分の思い全てを否定されなかったことが紗恵はたまらなく嬉しかった。

その時はそう思った。

「じゃ、お疲れ様です」

「お疲れ。またバイトでね」

言葉を交わし、ぴょこんとおじぎをするなり、紗恵は走り出した。

ずっと我慢していた涙が頬を幾筋も伝ったが構わずに走り続けた。

気が付いたら紗恵は部屋でビールを飲んでいた。

実はどういう経過を経て告白にいたったのかもよく覚えていない。

ただ、あの告白のシーンだけがぽっかりと鮮明に残っているのだった。

―――後はただ感情の渦。

高藤に思われる女の子が羨ましくて仕方が無くて、誰だか分からない相手に嫉妬した。

もし、あの時、最後の1%の可能性を否定してくれたなら、完全にふっきることは出来なくても、

気持ちに区切りをつけられたのに。そうも思った。責任転嫁だとは分かっていた。

けれどあの時否定されていた自分を想像すると、今の自分の方が遥かにマシだと思う。

こんな晴れた空を見ながらごちゃごちゃと考えをメビウスの輪のように巡らせるのは、

とても不似合いだと、唐突に思った。

今更あれこれと思考を巡らせた所で事態が変わるわけではないのだ。

そんなことは最初から分かっていたけれど、あえて心の中でつぶやいた。

気持ちを切り替えようと、紗恵はお気に入りのMDをセットした。

やはりJUDY AND MARYのものだった。しかも高藤から借りて録音したものである。

軽快なリズムを聞きながら、紗恵は手に持っていたビールの残りをシンクに流した。

金色の液体が流れていくのを眺めながら、やっぱり好きなものは仕方ないじゃないかと思った。

振られてもまだ好きでいたりする事は潔くないと思っていたけれど、

たった1%の確率にかけてみるのもなかなか格好良いじゃないかと思った。

何より高藤を好きになったことを後悔したくなかったし、

気がすむまでやってみれば、悔やむ事など何も無いだろう。

それに、高藤を好きになって、泣くのは嫌だった。

出会いを感謝したいくらい大好きな人に出会えたのなら、いつでもイイ笑顔を向けられる自分でいたい 。

これが紗恵の信条だ。

もう一度鏡を覗き込むと、酷い顔をした女が映っていた。

ニヤッと歯を見せて笑顔を作ると、はれぼったい瞼が痛々しい。

今日はバイトが無くて良かったと思う。多分このはれは夕方くらいまで引かないだろうから。

とりあえず今日は肌のコンディションを整えて、明日にはバッチリのメイクと

スペシャルな笑顔を高藤に見せたいと思い、紗恵は冷たい水で昨夜の弱い感情の名残を流し去るべく、

ばしゃばしゃと勢い良く顔を洗った。

気を引き締めなければ。

勝負はまだ始まったばかりなのだから。


Fin

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