追悼行事


 阪神淡路大震災から明日で20周年を迎えるにあたり、本校では16日の8時40分に1分間の黙祷をして、犠牲になられた方々の冥福を祈り、命の尊さをかみしめました。
  以下は、黙祷に先立って行われた、校内放送による校長からの話の内容です。


阪神淡路大震災から20年を迎える追悼行事でのあいさつ   

平成27年年1月16日(金)

 生徒諸君、おはようございます。
 先日、皆さんにお話ししたように、20年前、平成7年1月17日午前5時46分、明石海峡を震源地とする兵庫県南部地震が発生し、これが阪神・淡路大震災を引き起こしました。人類が経験したことのない人口密集地の直下を震源とする都市直下型地震で、6,434名の尊い命が失われる人的被害と53万棟を超える家屋の倒壊・焼失があり、都市基盤の損壊、経済の停滞といった様々な被害を引き起こしました。
 震災直後のようすは今でも思い出されます。当時、私が働いていた学校でも生徒の安否確認には4日を要しました。避難所を1カ所ずつ回って安否確認をしながら被災の聞き取りを行いました。生徒の家族の犠牲者、また、家屋が全焼し持ち物は制服だけになってしまった女生徒など、被害の状況は様々で、その把握にはさらに時間がかかるといった状態でした。その中で、私が勇気づけられたのは、他県から駆けつけてくれた警察・消防・自衛隊の方々の姿でした。半壊となった学校の体育館に寝泊まりし、自らの身の危険も顧みず、救護に復旧に力を尽くしてくださいました。
 その後、兵庫県では様々な復興への努力が行われ、この過程においては、ボランティア活動や、住民団体・NPOなどの連帯の輪が生まれ拡がりました。震災の年をボランティア元年と呼ぶのは、このためです。
 一方、平成23年3月11日には東日本大震災が発生しました。死者15889名、いまだ2500名を越える行方不明の方もおられます。また、この震災により福島第一原子力発電所の事故も引き起こされました。東日本大震災からもうすぐ4年となりますが、その復興はいまだの途上にあります。
 今後、南海トラフでの東南海地震、兵庫県内での山崎断層や有馬-高槻構造線による地震も懸念されます。私たちは地震災害は避けて通ることができないものと認識すると同時に、これまでの震災とそこから立ち上がろうとする復興への取組や絆を語り継ぎたいと思います。そして、私が諸君に特に望みたいのは、高校生が社会の一員として地域の絆をより強くしていってもらいたいということです。
 今日は、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、自然災害に備え、たとえ災害があっても復興へ取り組む決意を、震災から20年となる今、新たにしたいと思います。
 今から1分間の黙祷を行いたいと思います。皆さん、その場で静かに立ってください。
 「黙祷」(1分)

 黙祷を終わります





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