研修旅行報告

 9月19日(金)、曇りぎみの秋空で、動きやすい研修日和となりました。
バス2台総勢92名で奈良に行ってまいりました。(校長先生ほか4名の先生、育友会役員7名、研修部員も一緒に参加)
 遷都1300年祭に造られた「平城京歴史館」と近くの「再現朱雀門」で当時の社会や暮らしを学び、由緒ある奈良ホテルで昼食を堪能し、興福寺駐車場を拠点に自由散策、最後にお土産を購入して帰路に着きました。
 特に平城京歴史館では、古代アジアと日本の歴史、5世紀から8世紀の日本・中国大陸・朝鮮半島の歴史、平城京の暮らしと文化、遣唐使の意義などを学びました。
  遣唐使シアターでは、命を懸けて中国文化を取り入れようと大海を渡った遣唐使の物語と、混乱と混迷の中から大仏造立をとおして安寧で平和な都を築く過程を、阿倍内親王の視点で描いた物語を見て、現在の日本政治の基礎を築く苦労を学びました。阿倍内親王は、聖武天皇(45代)と光明皇后との間に生まれた皇女で、後に孝謙天皇(46代)・称徳天皇(48代)となり、2度にわたって皇位についた女性です。
 遣唐使の中には、阿部仲麻呂のように唐の科挙試験に合格して中国の中枢に残った者もありました。このような者の活躍が日本の地位を高くするとともに、遣唐使が持ち帰った技術や情報によって、日本は確固とした仕組みを築き上げることができたのだと思います。
 驚いたことに、現在、昔の平城京の中を線路が通っていて、朱雀門の目の前を電車が通り過ぎていきました。1300年間川の氾濫がない乾燥した地であり、掘ると遺跡が出るため、最近まで手付かずで残っていたとのことで、平城京のエリアが未確定だったようです。
 

考察として、

  1. 乾燥地は、当時水回りには苦労したと思われ、水が少ないため疫病などの元になったのではないでしょうか。平安京との差でみれば、鴨川(賀茂川)、桂川、高瀬川、高野川など大きな河川を中心に、水路が巡らされている平安京に対し、平城京はため池が中心で、水路も細いものがほとんどで不衛生な街になったのではないでしょうか。
  2. 平安京は神社仏閣が都の至る所にありますが、平城京では山際に配置され、人家が集められたため、商業には良かったものの、火災の際逃げ場や退避地がなく、憩いの場が少ない災害に弱い街になったのではないでしょうか。
  3. 大仏造立のため大量の燃料が必要になり、当時の燃料が木々だったことを考えると、精神的な支えとなる大仏のために周辺の樹木が相当伐採され、最終的に都として寿命を縮めたのではないでしょうか。

 以上のように、今回も大変有意義な研修旅行となりました。
 ご協力くださった皆さまに、この場をお借りしてお礼申しあげます。

 





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