35 回生 3 年 国語特別講義を受講して(感想)
現在使っている言葉の元の意味を知ったら,日本語って素晴らしいなと改めて実感した。 昔の人の思いやりの気持ちの深さを知り,言葉を大事に使いたいと思った。 「 言葉を豊かにすることは豊かな心を培う 」 ことだとよくわかった。
何でも 「 ヤバい 」 とか 「 かわいい 」 とか言ってしまうが,「 『 どうヤバいのか,どういう風にかわいいのか 』 を考えて使わないと言葉がやせていく 」 と聞いて,納得した。
いつの時代にも若者は言葉が貧しいと言われるが,いろいろなことを経験し,感じ取る若いときに,それを表現する言葉を持っていないのはもったいないと思う。
「 相手の立場を慮り,少しでも相手の負担にならない表現を選択する 」。 これが日本人の心性だということに納得した。 しかし,それはある意味扱いに気をつける必要のある性質ではないかとも思う。 身についているなら,普段は意識しすぎない方が現代では暮らしやすそうだ。 …新しいことを知った,というより新しいことを次々と知りたくなった。
「 カクテルパーティー効果 」 がおもしろいと思いました。
文化的コードを前提として言語が存在するのならば,やはり外国語に翻訳することは難しいだろうなと思った。
言葉の使い方が少しわかったような気がする。 アメリカでは 「 自分が割った 」 と言うのはよくないことだと初めて知った。 網膜や鼓膜ではなく,脳で覚えるとは良いことを 学んだ。 自分も脳で聞く努力をしようと思う。
「 ありがとう 」 や 「 おはよう 」 「 おやすみなさい 」 などの挨拶言葉が,相手の立場を慮る思いやりの表現だとは思わなかった。 「 お茶が入りました 」 と 「 お茶を入れました 」 との違いが,論理をとるか情をとるかの話になるとは驚いた。
日本語の中にある日本人の国民性について少しわかったとともに,自分が学びたい 「 地域文化 」 についてもっと興味が湧いてきた。